『統計学を拓いた異才たち』

統計学を拓いた異才たち―経験則から科学へ進展した一世紀』を先日読んだ。統計学が苦手でどうにもよく分からないでいたので、統計学の発展してきた経緯なんかを知ればもう少し分からないのがどの部分なのかが分かるような気がしていた。この本はその目的のためにはちょうど良いような気がしたのだ。

統計学を最初に勉強した時に混乱したのはいろんなものが確率分布を持っていることで、推定量としての平均もまた確率分布を持っている、といった考え方など未だによくわからない。今回この本を読んで、僕の混乱の原因は必ずしも僕にあるのではなく、統計学という分野そのものに内包された根深い問題であることを知った。

数学としての確率論は「確率とは何か」という幾分哲学的な問いかけを放棄して公理的に「この条件を満たすものを確率といおう」としている。一方で統計学というものは現実に浮かび上がってくるデータを扱うもので「この病気の3年以内の死亡率は」といった「確率とは何か」という問いから逃れることは出来ない。一つの考え方として「真の確率」が存在してそれを推定しよう、というものがある。他方でそれを否定する考え方もある。それぞれがそれぞれの統計手法を開発しているから、それの辺の事情に触れない教科書(そういうのがほとんどだろう)で勉強すると非常に混乱するわけだ。なにしろ今学んだばかりの手法が次の章ではあっさりと否定されていたりしてどれを使えばよいのか訳が分からなくなる始末。もちろん、きちんと理解している人にはもっと整理されて使い分けているのだろうけど、初心者には難しい。

ところでこの本を書いたのはもちろん統計を扱う人なので、(決定論との対比における)確率論的な思考を信奉している。その結果なのかどうか、抽象的な数学に対して非常に批判的である。なぜこういうことになるのかよくわらかないが、僕はそれぞれ役割が違うし補完し合う関係にあると思うので、こういう書き方をされると「この人、本当に分かっているのかな?」とちょっと本の内容に対しても信頼性を低く見積もってしまう。また、日本に関係する記述での誤りなど訳注で訂正されている箇所が結構あって、余りよく調べずに書いている様子も伺える。後の方の章に行くほど統計学に関する記述が明瞭でなくなっていくようにも感じて、なんとも残念。

個人的には、フランクリンルーズベルト大恐慌の原因は財政赤字にあると正しく見抜いた、的な記述に吹き出してしまった。