多様体上で定義された写像の「微分」

相変わらず同じところで嵌っている。結局、多様体という直接手で触れないものの上で定義された写像の「微分」を考えることに起因する抽象性に難があるのだろうと思う。そもそも「微分」と名前が付いているもの、通常の意味での関数の微分のアナロジーとして捉えること自体が誤りなのかもしれない。名前に引きずられているのかも。

そんなことを考えているうちに通常の多変数関数の微分もよく分からなくなってきた。多変数関数を微分する、って一体どういうことなんだろう?という疑問が湧いてきてしまった。多変数関数の微分可能性についてはεーδ論法でもって実際に色んな関数をいじらされたので、そこそこイメージは掴めているのに。ちょっと復習しよう。