素数の話 感想

素数が無限に存在することの証明には色んな方法があるようだけど、最初にやるのは背理法を使った方法だろう。背理法というヤツは証明したい命題を否定して矛盾を導くわけで、素数の個数に関して言えば新しい素数を見つける方法を示すようなタイプの証明ではない、というのが僕の認識。

素数が無限に存在することを背理法で示そうとするならば、まず素数が無限には存在しない、すなわち有限であると仮定する。そこで2,3,5,7,11,13,...と順に並べ上げて最大の素数をpとする。p!+1でもよいし、(2・3・5・7・・・p)+1でもよいけど、それをaと置けば全て列挙したはずの2からpまでの素数で割り切れない数となる。だから素数が有限であると言うことはいえず、無限にあるということになる。

しかし、実際にこの方法で新しい素数を見つけることが出来るか、といえばそうではない。それは当たり前な話で、素数は有限ではないわけだから、有限と仮定して得られた結論であるaが素数である、ということを云々しても何の意味もないお門違いなことだと思う。この辺が背理法の気持ち悪いところだとは思う。イマドキ背理法を否定する人はごくごく少数だとは思うけど、気持ちは分かる。

ところが高木貞治の『初等整数論講義 第2版』ではaが素数である場合と合成数である場合とに場合分けでして証明している。これはあとに出てくる4n-1の形の素数の証明がパラレルに進むようにとの配慮かとも思えるのだけど、結局のところは何故だかわからない。aが合成数だとすると二つの因数の積として表すことが出来る。それをbqとすると、やっぱりどっちも2からq以外の素数でなければおかしなことになる。なにしろaは2からqまでの素数で割り切れないことは分かっているのだから、その因数b,qもそれらを素因数として含まない。にもかかわらず高木貞治はpよりも大きい素数の存在を示すのだけど、その部分の意図も意味もわからなかった。pよりも大きい素数の存在を示す必要はないと思うし、またpよりも大きい素数の存在が示せているとも思えないんだようなぁ。