「国家」と領土

僕の本家ブログのコメントが移民問題がらみでやや炎上気味。「国家」とはなんぞや、という部分から考えないと移民問題は捉えにくいと思う。日本人を含めた世界中の殆どの人は「国家」は「領土」によってその範囲を規定しているのが当たり前で、その範囲が重なること紛争の原因であると認識していると思う。「領土」以外には「国籍」とかもあるが、これも重国籍を認める国が多いので案外扱いにくい。それらいくつかの要素を絡めて「国家」を定義しているのだろう。

しかしながら、イスラエル建国以前のユダヤ人や、かつてのモンゴル人、今でも続くジプシー達など、「国家」(?)と土地とかリンクしない形態のケースもある。これらは日本やアメリカなどの意味での「国家」という概念とは全く対立する思想であるように思う。ヨーロッパの人達はこれまでジプシーに対してはかなり寛容な態度を示してきたように思う。彼らはパスポートなどはおそらく持っていないのだろうが、色んな国を通過することを許されているようだ。もっともフランスでは彼らに国籍を発行して定着させようという動きもあるみたいだが。

コメントで言及しているように国民と国家の経済学的な論文があるのであれば、僕は非常に興味がある。国民と国家というのは相互参照的でどちらが先に決まるものでもなく、なんとなく同時に決まるもののようにも見える。そんな中で既に出来上がった「国家」「国民」と新たに国民になろうとしている人々、つまり「移民」との関係をどのように考察するのであろうか。世代間抗争にも触れられているが、「新たに国民となる人」にもそれ以前に権利を付与するというのはどうなんだろうかと思う。いや、新たに生まれてくる人には選択の余地がないし、現国民の「子孫」(まぁ、厳密に生物学的なものばかりではないだろうが)という特性を考慮するのかしないのかによっては「移民」と「子孫」との扱いは異なるようにも思う。

日常的な感覚では、新たに入ってきたい人々は、これまでのルールに従うことを要求するのが自然であると思う。ところが、日本においては在日問題のように、「国籍」の外にいたまま、「有国籍者」と同様の権利を主張することを可とするような法解釈もあるようで、法学のみならず、経済学的にもなんらかの合理性があるのかもしれないなぁ、とも思う。